新米しんまい's お家計画blog

新米主婦による、お家計画、なんちゃらブログ。マイホームで新米母になりました♪

5年前の3月11日 保育園で働いていた

震災。あの日からもう5年経ったんだ。

当時関東に住んでいた私は、保育園で0.1歳児クラスの担任だった。

空は曇っていて、まだ寒かった。


まだ5ヶ月くらいの子はベッドでぐっすり寝ていたし、起きていて絵本を読んでいる子もいた。

4人の担任は子供の世話をしながら起床時間を連絡帳に記入したり、"おやつ"の用意でちょうど忙しくなる時間帯だったけど、あの日はいつもより多くの子たちが早めに起きていたので 寝起きの支度はほとんど終わる頃だったと思う。



カタカタ…と揺れて「あれ?地震?」と話していたら

グラグラーッとすごい揺れが来て 何かにつかまっていないと立っていられなかった。


長い長い揺れの中で 無我夢中で部屋の真ん中に連れてきた子供たちを抱えたり、ベッドで寝ている赤ちゃんの上にかぶさって守ることが精いっぱいだった。

このとき園長から机の下に隠れてとか放送が入っていたと思う。


揺れもおさまってきて、すぐに避難指示が出るはずなので、職員はまだ歩けない子をおんぶしたり点呼をしていると園長から避難指示の放送。

0歳児をおんぶして、歩ける子を手に外へ避難。

名簿や非常用リュック、ヘルメット装着などスムーズに手に取り避難できたのは2日前に避難訓練をしていたからだと思う。


0歳~6歳までの約150人の子供たちと職員が園庭に集まりみんな緊張していた。

余震がすごくてあちこちで「キャー!」と悲鳴が上がった。


耐震はしているけど、なかなか古い2階建ての園舎。

ここまで大きな地震だと崩れないか皆心配で、長い時間おやつも荷物も取りに行けず、寒い中 園庭でシートを広げて座っていた。


余震もだいぶ減ったので、まだミルクを飲んでいなかった子や靴下を履いていない子もいたので 取りに行きたいとほかのクラスの先生と 園長にお願いした。

職員も守る立場の園長としては心配そうだったが、なんとか許可をもらった。

子どものいる先生たちと当時独身だった私。もちろん私が行くしかないと思った。


年配の先生が代わると言ってくれたけど、「揺れても何か落ちてきても 私が一番身軽でよけられますから!」なんて笑って言ってたな。

小さな子供がいる先生は「ごめんね。ごめんね。本当にありがとう。」と戦地に行く私を送り出すようだったw

あの揺れの中で内心は超怖かったけど、寒い中がんばっている子どもたちの為に必死だった。


私だけミルク作りに奥の部屋まで行かなければならなかったので、付いてきてくれた男の用務員さんが「揺れるかもよ~」なんて冗談を言って和ませてくれた。1人じゃなくて本当に心強かった。

まだ暖かかったポットのお湯でミルクを作り、持てるだけの靴下と上着を持って 揺れが再び始まる前に大急ぎで外へ出た。


その頃からぽつぽつとお迎えがあり、子供に会えて泣きだすお母さんを見て私も泣きそうになった。

当時から涙もろかったけど仕事中だし必死に我慢した。


それからしばらくして余震も小さくなり 日も暮れるのでみんなでホールに避難した。

子供たちとカンパンを食べ、揺れたら毛布をかぶせて過ごした。


6時過ぎた頃、子供のいる先生は先に帰ってもらうようにした。私も親に一本メールを入れておこうと休憩室に行くとテレビで津波のニュースが流れていた。
見ていた給食室の先生に〝みんな流されちゃってすごいことになってる”ということだけ聞いた。


一人暮らしだったので帰るのも怖かったし、大渋滞で電車もバスにも乗れそうもなかったので9時頃まで保育園にいた。

少なかったけどまだ子供もいるし、電車が動くまで待ってますと言ってたら、他の先生が車で送ってくれることになり 大渋滞だったけど12時頃には家に帰れた。

家の中は思っていたより被害が無くて安心したけど、テレビを見て津波被害の大きさを知った。

余震もあるし緊急地震速報が何度も鳴り、すごく怖かった。お風呂にも入れずソファでうつらうつらして夜を明かした。


翌週からは余震におびえながら保育した。いつでも避難できるように職員で話しあった。

停電もよく起こっていたので 家にあった小さな懐中電灯を家→保育園→家と日々持ち歩いて過ごした。


あの頃はクラスに中国籍の子もいて、放射能の脅威もあったから会話の中で中国に帰るのか聞いたら、中国の空気の方が汚くて危ないから日本の方がいいと言われたっけなw

皆が復興、改善に向けてどうしたらいいのか悩んだ年でした。

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あの日のことは何年経っても忘れることなんてできないし、今後のためにも覚えていたい。

子どもたちにも伝えていきたい。

そして やっぱり避難訓練と日々の備えは大事だ。